くらげ旅行記第6話の5ばんめ〜


何もなくて良かった。

でもまあ、警官が実際に訪ねてくるわけでは無かったので、
そのまま泊まらせてもらいました。
彼はドバイで貿易商をしているのだそうです。
翌朝、やっぱりこのままではまずいということで、親戚の家に移りました。
基本的には、何も変わっていないようなのですが。
イランは(中東全般に言えますが、)客人をもてなす事が善とされていて、
(これは、宗教的にも同じです。コーランには、旅人に親切にしなさいとの
記述があるそうです。)くらげは好意に甘えました。

ブーシェルの住宅街
ブーシェルの住宅街
何となく南国っぽいと思いませんか。
右の家がくらげが世話になった家です。


テヘランなど大都市はちょっと疑わしいのですが、
基本的にイランの人は親切なのでこのような場合も、
お金は受け取りません。それは彼らにとっても恥なのです。
二泊三日の間彼とその友達がつきあってくれて、
ブーシェルで楽しく過ごすことが出来ました。
その中でイラク人(イ・イ戦争があったにもかかわらず、難民を
受け入れています。この辺りは、イスラムの連帯感なのでしょうか?)
がペルシャ湾のことを「アラビア湾」と呼んでいました。
アラビア語では「アラビア湾」と、呼ぶそうです。
「ペルシャ」なんて名前が付いているのが気に入らないようで、
くらげに日本での呼び方を聞いてきましたが、
「ペルシャ湾」と、答えると、彼はがっくりして、
まわりのイラン人は、それ見ろとはやし立てました。
もちろん、お遊びなのですが、微妙なところですよね。

ペルシャ湾
ブーシェルから見るペルシャ湾
移った先の家には、娘さんがいて(高校生)、家にはいると、
スカーフも取って、ジーンズ姿でくつろいでいます。
TVは湾岸諸国の番組が見られるので、
アメリカのちょっとエッチっぽいのもみれてしまいます。
この辺りにも、イラン人の本音と建て前が見え隠れしています。
その家には、貰い物だという、清水寺の置物があったり、
楽しく過ごさせてもらいました。
くらげが去る翌日、そこの女の子が誕生日だというので、
大きめのケーキをプレゼントしました。
これも、こっそり買いたかったのですが、
他の人にケーキ屋の場所を聞いていたら、当人に話してしまい、
あっさりばれて、一家で大笑いになってしまいました。
ホントに楽しかったです。



ち ず