スナノキヲク 2



月の沙漠へ


 日本は平和でした。とてもいいことです。しかも、くらげは同じ会社に2年半以上勤め続け、税金だってちゃんと収めていました。クレジットカードは作れなくても、まるでサラリーマンでした。一体誰がこんなに根気強いと知っていたでしょうか。何しろ2年半です。当然飽き始めていました。そして思ったのです。
「駱駝(らくだ)に乗って旅でもしよう。」
 1日でもいい。出来れば数日の間、駱駝にゆられて沙漠を進む。考えただけでも筆舌しがたい夢とロマンの香りがいやというほど漂ってきます。場所は何処にしよう。まさか御宿や鳥取というわけには行かないでしょう。やはり砂漠と一夜を共にしたい。ならば印度西部のタール砂漠のラジャスタンか。それとも、そう、はるかかなた、サハラの大地に向かおうか。くらげは乾いた風に誘われていました。





エキゾチックということ


 情報は普段は無味乾燥なデータと鏡の中の人生を流し続けます。しかし、同時に広大なロマンを与え、そして終わりなき夢を見させ続けることもあります。過酷でさえも憧れにしてしまう。この言葉を何と訳したらよいのだろう。
エキゾチック  〜 異邦感 〜
 堪忍袋の緒は切れるためにあると言うが、憧れや夢は叶えるためにある。しかし、世界はいつでも少しずつでも動いています。彼の地では疫病がはやり、また別の地では外国人の排斥が起き、行き先は閉ざされかかってしまった(注)。そんな中でチュニジアが僕の目にとまりました。調べてみるとそれは神(アッラー)と砂漠と海と遺跡と平和の国でした。地中海を挟んでイタリアのむかい側。めざすは《サハラ》(現地の言葉で沙漠を意味します)の大地。きっとこれこそが『神の御意志』なのでしょう。
(注:この当時インドではペストの流行があり、アルジェリアでは外国人をねらったテロが多発ししていました。)





ま・ん・せ・き

さてさて、大袈裟なことは言ってみましたが、要するにチュニジアに行きたくなったのです。まずはどうやってどのくらい旅行するかです。まあ、2週間といったところでしょう。パック旅行もあるのですが、やはりどうも趣が異なります。自由旅行に決め、旅行代理店に相談に行くと、飛行機は日本からの直行便は残念ながら無く、チュニジアに近いと言うことで、ローマ経由が良いそうです。日本からローマまでなら幾つか手はあります。ローマまでは直行便で行きそこで乗り換える。しかし、何故か席が満席で予約が入らない。出発の1ヶ月前になっても、1週間前になっても席が取れないのです。仕方なくソウル経由に変更したのですが、乗り継ぎ時刻の関係で行きも帰りもローマに1泊しなくくてはならなくなってしまいました。あんまり寄り道はしたくないないけど、まあ、しかたないっか。





たいくつがい〜〜〜っぱい


くらげは決して飛行機が恐いとかはありません。しかしなにしろ普段から落ち着きがないのは天下一品なので、あの飛行機の狭い場所で何時間も座りっぱなしというのは、頭の痛い問題です。くらげがもっとお金持ちだったら少しは楽に成るのだろうけど。飛行機は成田からソウルへ向かい、そしてヨーロッパに向かうはずだが、何か飛行機の向かう方向がおかしい。何と、日本に向かって飛んでいます。乗り違えたわけでもないのに。鳥取をかすめ、能登半島を越える。まもなく佐渡ヶ島に差しかかろうとするとき、進路は北に変わったのです。成田からヨーロッパに向かうコースに乗ったわけです。ここまで4時間以上かかっているけど、一体何だったの?もう少し近道をして欲しいな。くらげは。とにかく、もう計算もしたくないほどの時間をかけてくらげはアフリカの大地に足を下ろしました。





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